毎日の心のお掃除
心の師匠のそのまた師匠は、早朝、鬼のような形相で毎日毎日必ず雑草取りをされていたそうです。
自我という心の埃を祓い清めるために。
雑草は刈り取っても刈り取ってもすぐにまた生えてきます。
その度にまた刈り取っていく。
自我という埃も同じこと。
自我は消えることはなく流れ続けてくるものだけれども、流れてきたのなら選択しない、何度でも何度でも刈り取ることを習慣に。
今日はそんな師匠の話を思い出しています。
私の理不尽な怒りによる関係性の破壊と、心の師匠の病が重なり、こんなに何ヶ月もお会いしなかったことは初めてですが、逆にこの期間が心や自分がやってしまう怒りのパターンというものに真剣に向き合うということをももたらしてくれているようです。
奇跡のコースでは自我に気づき聖霊にゆだねるという形で、バイロン・ケイティの問いかけでは思考に気づきなさい、そうすれば思考の方から放してくれる感覚がありますと述べられています。
その他の本質を突くスピリチュアルというのも、きっと同じところを指しているのだと思います。
心の師匠との時間で行ってきたのも、あらゆる知覚は幻想であり、心地よくないのであればそれは神から離れていること、知覚を疑いなさい、自我を疑いなさいということです。
心の師匠からは目覚めの一瞥は重要ではない、そのあとが重要なのだとキツくキツく言われ続けてきました。
さて、ふとこんな話を思い出したのも、この数日の私の怠慢が重なってきたからです。
会社員の仕事が忙しすぎて、心を振り返る(立ち止まる)ことをせずに、流し流しにしていたら、小さな苛立ちや怒りがポコポコと溢れ返り始め、これはやばいぞ!!と感じる一日でした。
今は怒りのパターンに気づいてやめたいと切に願い、より観察しようとしているからこれまで以上にささやかな波立ちでも気づけるのだと思います。
毎日の心のお掃除、自我の祓い清め、徹底します。