太っていて美しくない

奇跡のコースでも、非二元の話でも、バイロン・ケイティの問いかけでも、その他の真実を指すものでも、事実を事実としてありのままに観ることに通じているのかなと考えています。

 

どんな道具を選んでもいいし、どんなに回り道をしてもいい。

 

奇跡のコースのレッスンも(これはやっぱりテキストも不可欠と感じています)、バイロン・ケイティの問いかけも、真実はただ真実としてあるだけであり、本当はあなたを苦しめてはいないし、傷つけてもいないと気づかせてくれ、どちらも自分自身の世界への解釈を取り下げていくこと(知覚の転換により本当は自分を縛りつけるものはないと気づくこと)だと今の私は感じています。

 

今は、ちょっと厳しめに自分自身が執着している思考や信念を洗いざらい見たいと思っていて、バイロン・ケイティの「ザ・ワーク(ダイヤモンド社)」にひたすら取り組み中です。

 

私の使い方は、第1章・第2章・第5章を読みこんで流れを染み込ませ、その日怒りやイライラを感じたことでワークをしたり、先に題材を書き出して、その他の章のセッション(ケイティとクライアントの対話)をそのまま自分自身に当てはめていったりしています。

 

決まった形式とセッションでの対話を繰り返し読み込むことで、必要な形で自由自在に使えるように(鋭い突っ込みを自分に入れて混乱を紐解いていけるように)なりたいと思っています。

 

本来は慣れるまでは他者を題材にすることを推奨されていますが、どうしても自分の容姿の問題に取り組みたくて、少し練習した後で第11章「体と依存についてのワーク」もやってみました。

 

中学・高校時代に太って大学時代に20kgほど体重を落とし、23歳の頃は身長153cmに対して54~56kg程度、そこから過食衝動を繰り返して現在は82kgとなっています。

 

痩せた経緯を話したとき、心の師匠からは根本の恐れ(心の問題)が解決しない限りは物理的にダイエットをしても必ず体重は増えるよと言われていました。

 

ちなみに私のベスト体重(恐れがまったくない状態)は46kg程度です。

 

それだけ恐れで覆っているということです・・・。

 

過食の問題についても見ていく必要がありますが、まずは痩せて美しくならなければならないという理想と、何度もダイエットに失敗するという現実のギャップへの苦しさから何とか少しでも自由になれないかと思って試してみました。

 

例えばこんな題材で。

 

「私は自分が太りすぎていることに不満と怒りとやるせなさを感じています。

なぜなら、周りからバカにされるように感じて自信が持てないし、豚のようで何の取り柄もないおばさんに思えて悲しくなるから。」

「私はもっと痩せて美しくなってほしい」

 

指示通りワークをしていき、置き換えで主語を体重から「考え」に置き換えたところ、「私は私のの考えに怒りを感じる。なぜなら太っていて醜いから」と「私は私の考えがもっと痩せて美しくなってほしい」と出てきました。

 

これを見たとき、私の体重・体型への思考の執着が、可笑しくて笑えてしまいました。

 

問題は、私の思考が太っていて美しくないからということが腹に落ちたからです。

 

自分の体重に問題があると感じるときはいつでも思考が煩雑で醜く、その瞬間にまともでなくなり、体は私のその囚われの思いを見せてくれているにすぎません。

 

ケイティは、あなたが理解でいるまで体は師として優しい道を示してくれると言っています。

 

このことに気づいて、考えるたびにビリーフが滑稽で笑えてくるようになってから、今のところ、心の痛みを隠そうとしたり、自分の言動が恥ずかしくて感覚をマヒさせようとしたり、自分の人生や自分が無価値で消えてしまいたいという気持ちを紛らわせたりのために、感じると同時にお菓子やインスタント食品やごはんを瞬時に口に入れていた衝動が無理なく止まっています。

 

入り口にすぎませんが、もっともっと自分を苦しめているものを見て、思考のダイエットをしていきたいです。

 

今のところ、ワークは、置き換えによってはっとさせられるようなことに気づく日もあれば、う~んそうかな・・・という感じの日もありますが、自分に誠実に誤魔化さず続けていこうと思います。