奇跡のコースと私のこと

私は奇跡のコースに2013年4月から触れ始めました。

 

奇跡のコースは自学自習の書ではありますが、自分に都合のよいように解釈しがちだったり、キリスト教用語が多用されていたり、多くの私たちがこれまでこの世界で取り入れてきた信念とは真逆のある意味過激なことが書かれているため、理論はとてつもなくシンプルですが、誠実に実践していくことは容易ではありません。

 

幸いにも、私の場合、誤りや抵抗で混乱している状態からはっと我に返る機会を与えてくれたり、真っすぐに自我に突き進もうとする私に歯止めをかけてくれる存在がいます。

 

一人は、自分の心を見つめなさいと時に厳しく何度も何度も真実の方向を指してくださり、揺るぎなく待ち続けてくださっている心の師匠。

 

もう一人は、やさしい言葉の中にも、鋭さと決して妥協しない言葉で自分が何に信を置いているのか気づかせてくださるアメリカ在住の心のお母さん。

 

私が心の師匠と出会い、コースに出会わせてもらったのはまだ20代前半。

 

まだまだ素直で、今思えば、コースをやっていれば未来への不安を減らせる、本来の輝きがあふれでてくるはずと安易に考え、師匠から見ればとんでもなく甘いやり方だと思われたでしょうが、私なりに一生懸命取り組んだり、師匠の言葉に心の底から耳を傾けようとしていました。

 

あれから7年。

 

残念なことに、私は幻想である自我の方に重きを置き、自我がどんなパターンを繰り返し続けているのかから目を背け続けてしまったようで、どうにも身動きがとれない、このままでは永遠に今のまま・・・という危機感の中にいます。

 

私の中でとてもショックなのは、とても大事にしていた心の師匠との関係性を自我の暴走のままに振舞ったことで破壊してしまったり、抵抗ばかりが生まれて師匠の言葉に純粋に耳を傾けられなくなってしまったこと。

 

そして、師匠が伝えようとしてくれていることがどうしても意味不明(理解できない)になってしまったことです。

 

社会人生活も9年目が終わろうとしていますが、毎日毎日迫りくるこの世界の現実や常識、やらなければいけないことや自分の限界というものの方がよりリアルに感じられ、奇跡のコースの世界観や非二元の世界というものに対して、そんなこと言っても・・・と文句を言いたい自分の方が大切になってしまっているのだと思います。

 

大切になっている・・・というのは語弊があり、そちらを大切にすると選択している自分がいますという方が正しいでしょう。

 

特に奇跡のコースというツールは、決して非現実的なものではなく日常の中で実践していける優れたツールということは重々理解も体験もしているにも関わらず、今身動きがとれないように感じているのです。

 

もちろんこの8年間、悪いことばかりではありませんでした。

 

起こる問題や感情との向き合い方は上手になり、心が落ちついた状態でいられることが増えましたし、常に過緊張で硬直状態だった心身は物理的に緩んで頭痛や肩こりはほとんどなくなりました。

 

それでも私は不安に脅え、本来の自分を忘れて苦しく、葛藤だらけです。

 

心の師匠ともう一度話をしたい、もう一度戻りたいと思った矢先に師匠が倒れて当面会うことが叶わなくなりました。

 

これを機に、これまでの8年間、何を伝えてもらってきたのか、自分は何から目を逸らしてきたのか、真の問題は何なのかをこのブログに書くことで心を見つめなおしていきたいと思います。